ある酒鬼薔薇ファンの告白:酒鬼薔薇王国を超えて

2015年10月

Aくんにカリスマ性はあるのかということを考えていた。

発達障害者であるAくんには、純粋で、あやうい部分もあると思っているし、決して物凄い才能があるわけでもないように思っている。Aくんの「生身」を知ろうとした人間が、Aくんを尊敬しなくなるのはある意味で必然かも知れない。かくいう僕とてAくんの「生身」は性の対象であり、また、守ってあげたいと思う存在である。

しかしそれでなお、Aくんは神がかっていると思う。それはAくんという生身の人間がもつ能力ではない。「神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇事件)」という出来事がもつ非日常性であり、また、それが起こったのがインターネットの黎明期だったということに由来するものだ。「偶然」と言ってしまえばそれまでかも知れない。それを僕は「神だからこそ成し得た御業」だと位置づけることにしたい。

かつて、中国などの共産主義国などで「個人崇拝」された人間が暴走して惨劇をもたらした例はある。生身の人間を神のように扱ってはならないというのは歴史の教えるところだ。

しかしそもそもなぜAくんは個人崇拝されるようになったのか?それは出所後、徹底してプライバシーが守られたからである。それはいまでも続いている。完全に身元が特定されないまでも、出所後のプライベートな言動が報じられていれば神のように敬う人間は少なかっただろう 。

ではなぜAくんのプライベートな言動は徹底して守られ表に出てこなかったのか?少年法があったから?いや、それだけではない。Aくんのことを組織的に守ろうとする弁護士の集団がいたからではないか。その理由をつきつめていくと「インターネットが普及し始めた時代に、学校の校門に生首を置いて日本中をびっくりさせ、マスコミが写真を掲載し、実名がネットで流れたから」ということになる。

おわかりだろうか。Aくんの出所後のプライベートなことがらの守りが固く、結果として神格化されてしまったことすら、おおもとは「日本中をびっくりさせる事件を起こした結果、Aくんを守ろうとする弁護士たちがあらわれた」ということになるのだ。

酒鬼薔薇事件は人間が意図して起こせるものではない、と思う。

思うところあって土師家と山下家に手紙を書いてみた。公開を憚る部分がないので全文を公開する。
たぶん返事は来ないと思うけど、もし返事が来ても公開しないと思います。

まず土師家あて、

拝啓
 朝夕めっきり冷え込んでまいりました。いかがお過ごしでしょうか。
 私、柊龍士郎というハンドルネーム(筆名)で「ある酒鬼薔薇ファンの告白」というブログを書いています。ファンとは言っても直言すべきことは直言するというスタンスです。
 さて、Aによるホームページの作成、そして有料ブロマガの配信について、ご遺族の思いを伺いたく思い、手紙をしたためた次第です。
 手記の出版直後、ネット上では、遺族とは水面下で交渉が行われており、土師家は出版に反対し、山下家は賛成しているという情報が流れていました。
 たしかに土師様は手記出版に反対する発言もしていましたが、一方で、命日の手紙に対し、事件の原因について本人なりに分析できたと思うという趣旨の発言をしており、出版にまったく反対にも見えず不思議に思っておりました。
 いまは、出版前に水面下の交渉など行われていなかったと確信しています。 土師様は決して出版に対し頑迷に反対していたわけではないと思いました。
 ホームページ作成や有料ブロマガに対して世間からは非難轟々ですが、遺族の方はまた違った思いを持った方もいるのではないか。もしそうであるなら、その思いを知りたいと思っております。
 末筆ながら土師様の御健勝をお祈り申し上げます。
敬具

平成二十七年十月十八日
柊龍士郎


山下家あては以下、

拝啓
 朝夕めっきり冷え込んでまいりました。いかがお過ごしでしょうか。
 私、柊龍士郎というハンドルネーム(筆名)で「ある酒鬼薔薇ファンの告白」というブログを書いています。ファンとは言っても直言すべきことは直言するというスタンスです。
 さて、Aによるホームページの作成、そして有料ブロマガの配信について、ご遺族の思いを伺いたく思い、手紙をしたためた次第です。
 出版直後、ネット上では、遺族とは水面下で交渉が行われており、土師家は出版に反対し、山下家は賛成しているという情報が流れていした。私がAに批判的な意見を述べたところ、事情通を気取って、遺族の気持ちが分からないなら発言すべきではないなどと言ってきたひともいました。
 しかし、六月下旬になって山下様が出した声明を読み、騒がれたくなかっただけで出版には反対だったのだと理解しました。
 いまは、出版前に水面下の交渉など行われていなかったと確信しています。それなのに、いったいなぜこんなことが起こったのか、真相が明らかになることを願っております。
 ホームページ作成や有料ブロマガの配信に対して世間からは非難轟々ですが、遺族の方はまた違った思いを持っているのではないか。そうであるなら、その思いを知りたいと思っております。
 末筆ながら山下様の御健勝をお祈り申し上げます。
敬具

平成二十七年十月十八日
柊龍士郎


意図するところが伝わればよいなあ。

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